ゼミアラカルト of 同志社大学 経済学部 島ゼミ同窓会 「寒梅会」

特集 ゼミ・アラカルト(その1) 

島ゼミ 0期生?!

島先生には正規のゼミを担当される以前に、代理担当とチューターとして二度出身ゼミである岡谷元治先生のゼミをもたれたことがあり、いわばわがゼミの前史であり、ゼミ・ゼロ期生です。ここに紹介します。

① 岡谷ゼミ 1960年度生
(岡谷先生の内地留学のため代理担当)
(1963・4-65・3) 4年ゼミ
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ゼミ旅行:宇奈月温泉

② 岡谷・天野ゼミ 1962年度生
(岡谷先生の中国留学のため、代理担当は
中国経済論の権威・天野元之助先生に委嘱、
その下でチューター)
(1965・4-66・3) 4年ゼミ

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宇治・山本宣治墓前で

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岡谷・天野先生を囲んで(卒業後)

心のふるさと=岡谷ゼミ=       

島  一郎

私が学生時代所属したのは「中国近代経済史」を専攻する岡谷元治先生のゼミでした。その頃はまだ日中国交も回復されず、政府(岸内閣)も極端な中国敵視政策をとっていましたので、中国ゼミは人気もなく、私たちのゼミも総勢8名という淋しさでした。私がこのゼミをえらんだのも、先生の奥様が高校時代の国語の先生で、友達有志で中国語を教えて頂いたというのがご縁でした。

公私ともに生涯を通じての恩師となった岡谷先生は一面学生にとても厳しい方で、ゼミ開講の第一日に当時は流行の下駄を鳴らして教室に入った私の親友・安田君(19期生・安田幸生君の父親)が開口一番「帰って履き替えて出直してこい」と怒鳴られ青くなったのを今でも覚えています。

そんなわけで敬遠する学生も多かったのですが、それでもついてくる学生には実に親身に暖かく接した方でした。ときにご自宅へ伺うと斗酒なお辞せずの先生は私たちにお酒をすすめながら、議論をふっかけ、とき深夜に及んで私たちが遠慮してお暇しようとすると、「真剣な議論は最後までするものだよ」といってひきとめて下さいました。

そんなとき、下駄の話になると、「わしも実は下駄が大好きで夏には実にきもちがいい。でも教室前の廊下をガラガラと音をたてて、仲間がどんなに迷惑しているかを考えるのが大学生じゃないのか」としみじみ言われました。

先生は反骨のひとで、昭和初年ファシズムの嵐が国を覆い、敬愛する恩師がつぎつぎ同志社を離れ、剣道場に神棚をまつることを強要された時代になっても、良心的な学生のひとりとして、ひるむことなく反戦運動に打ち込んで検挙され、反抗の意思表示としてキリスト教の洗礼を受けた人でした。

戦時中、中国でカイライ政権の官員を勤められた苦しい挫折の経験から、敗戦後帰国され母校に職を得られて以後は、終生日中友好を最優先して実践された方でもありました。先生の中国への思い入れは当時ノンポリに近かった私には少々きつすぎ、ときにゼミでも反発したこともありました。

後年、文革直前に中国から招待を受けて当時全く珍しかった長期の中国留学が実現した際にもこれを機に場合によっては中国に永住して日中の架け橋になりたい、と漏らされたこともありました。しかし、その後まもなく文革が起こり、中国研究者の大半がそれになびくなか、先生は心配する私たちをよそに、颯爽と帰国。なんと、「文革は完全な間違い。君たちもそれに染まっているのではないかと心配したよ」と切り出されたのをうれしく思い出します。

先生のゼミのOB会は「春秋会」といい、私たち同期が現役のとき作りましたが、その後しばらくして姿を消しました。その代わりゼミ生だけではなく、先生のご薫陶を受けたサークルの仲間をも加えて数十名の仲間が自然にあつまり、還暦・ご退職・古希・喜寿の節目はもちろん、97年に89歳の天寿を全うしてなくなるまで「岡谷ファーミリー」として毎年先生を囲んで歓談しました。

老いてなお酒豪の先生の口癖は「君たちもちょっとしたもんやな」という一見ほめ言葉、しかしその含意は「大したことはない」ということでしたが、そのもっと奥にあるのは「だからこそ、これからもっとがんばって大したもんになれよ。君たちならきっとそうなれる」という暖かな激励であったのではないでしょうか。

私も幸い先生の身近にいて、ときに先生と正反対とも思えるやり方でゼミ生に接し、生意気にも先生を乗り越えたとばかり増長したこともあります。「師を乗り越えてこそ、よき弟子になれる」ということばもあり、それは真理であり理想なのでしょうが、この歳になってゼミでの一期一会が縁で長年師事した先生を思うとき、まだまだ乗り越えられない厚い壁があるのを感じ、不甲斐なさを覚えると同時に、こうした恩師を頂いた岡谷ぜみを「心のふるさと」として持つことができた幸せをかみしめている今日この頃です。

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(写真:左)合宿で学生と憩う岡谷先生(58年夏)


岡谷5.jpg(写真:右 )逆井先生の送別会をかねた合同ゼミ。前列左端が私。右端が岡谷先生その左後ろが安田君
1958年夏