新世界遺産『四姑娘山』とその周辺(下) of 同志社大学 経済学部 島ゼミ同窓会 「寒梅会」

同志社大学 経済学部 島ゼミ同窓会

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1期生(1965年度生)  大橋 健司

6 危惧される環境破壊と乱開発
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世界遺産への道の改修工事・拡幅工事・新設工事が至る所で行われている。黄龍に近い新飛行場の建設もその一つ。3500m台の高地にあった15の山を削り谷を埋め九黄(九寨・黄龍)空港が作られた。今、年間2万人の旅客を受け入れているという。この空港は現在現在第2期工事中で、再来年にそれが完成すると旅客受け入れ能力が倍となり、ペキン・ホンコン・シャンハイなどからの乗り入れも実現する予定だそうだ。当然これらの公共事業に、国や省の巨額の資金が投入されていることは間違いないが、環境破壊がやはり気になる。保護義務がともなう世界遺産地域内ではそれほどではなくても、その外側の環境破壊がひどい。

渓流の自然に親しむことを趣味としている私にとっては、そこに生息する水性昆虫や魚族などに取り返しのつかないダメージを与えているような気がしてならない。中国には環境アセスメントとか生物多様性の保護とか、開発に先立ってチェックすべき事項について定めた法律がないのかもしれないが、ユネスコがそれらをチェックする機能を持ってないとしたら、ユネスコが環境破壊のお墨付きを与えてしまうことになるのではと勝手に思ってしまったが、本当はどうなのだろう。

次いで気になったのは、国や省が主体となる開発ならまだしも、九寨溝に程近い神仙池と呼ばれる渓谷は、個人企業にその開発が委ねられたという。黄河の源流域でも、そのような個人の資金が投入されて大規模な開発が進行中だそうだ。Yさんによると「国家の持つ美しい自然がお金持ちのもうけの対象になるのはといった疑問があるかもしれないが、結果的にそこの地域住民が豊かになり、その更に奥の人々も便利になるのだから、国もこうした開発を積極的に推進してますよ」ということだった。これをもし欧米や日本のエコロジストが聞いたらビックリ仰天だろう。開発=豊かなることといった図式が世界的に否定される時代に入っているというのに、中国では単純に肯定的に信じられいるようだ。それが高度成長中の中国の勢いというもであろうが、早晩ツケは回って来るに違いない。


大橋さん2.jpg私たちが九寨溝で泊まったホテルは「○○シェラトン国際大酒店」という名の5つ星。最初はシェラトンの名はなかったが、個人投資家によるホテルが行き詰まって、世界的なホテルチェーンのシェラトンに経営や管理を任せて今の名になったそうだ。過日このサイトで会長の小島氏が日中の起業家について問題提起をし、その中にも指摘されていたが、起業はしたもののうまくいかないという話は、世の中にゴマンとあり、中国では更に高い確率でありそうなことは想像に難くない。貴重な自然をレジャー基地に作り替えたものの、お客がこなくて観光産業が倒産し、施設がゴースト化し、残ったものは“壊れた自然”という最悪のシナリオが中国の各地で始まってはいないか。私たちの日本には、悪しき開発例がデパートのごとくある。この「あとは野と山となれ」式の開発が、中国の貴重な自然を潰してしまわないように祈りたい。


7 原因は民族性か、かつての集団主義の弊害か

中国ではよくケンカが起こる、と訪中経験の多い人から聞いたことがあったが、今回の9日の滞在中には4回それらしきものを見た。やはり多いというべきだろうが、多い少ないともかく、今回はその中の二つケンカが、直接我々の旅行に影響を及ぼすことになってしまった。

一つは、交通事故がらみの話。我々のバスの前を走っていた大型トラックがカーブを曲がろうとしていた際、対向車線を走る大型トラックがセンターラインをはみ出してカーブにさしかかったため、両トラックはすれ違いきれずにトラックの左前方と対向車の左後部が接触してしまった。この時、二人の運転手はぶつかった状態のまま車を降り、激しく口論し合いそれが長引いて、上り車線も下り車線もともに後続の車が長い列をつくることとなった。結局警察がやってきて、現場写真を撮り両運転手にとりあえず事情聞いて、二つのトラックをバックさせ、やっと通れるようになったは約15分後。

ガイドのYさんの解説では、ラインをはみ出した方の運転手は「俺は悪くない。カーブの手前に障害物を置く奴がいけないのだ。それがなければ自分ははみ出さずに通れたんだから・・・」、また相手の運転手に向かって「お前ももっとスピードを落としてくれば接触しなくて済んだ」、等々と自分の落ち度のないことをを主張し続けたそうだ。そして、「中国人は譲らないんだ」とYさんも嘆いた。譲りあいとか他人に迷惑をかけない等の公衆マナーはどうなっているのか聞いてみたくなったが、聞けば無関係なYさんを追及するようなことになってしまいそうで、口には出せなかった。これは古来からの中国人の民族性なのか、そうでないものなのか、他の場面でも結構“ワレサキ”で遠慮がない人たちだと感じることが多かった。

もう一つのケンカは、スークーニャンの観光ルートの一つの双橋溝の入口ゲートで起こった。ガイドのYさんが入場券を買い、専用の観光局のマイクロバスに我々一行12人が乗り移って発車を待っていた時、スポーツ刈り風の40歳前後男が、少し年齢が高いそうに見えたメガネのスーツの男に食ってかかった。Yさんの解説では、スポーツ刈り風の男は我々のバスに乗るはずの運転手、スーツの方は乗客と乗務員を割り振りする運転手の上司。この運転手が激しい口調で上司に迫っていたことは、「遅い時間からの乗務は困る、理由は同じ給料もらっているのに帰りが遅くなる乗務は割に合わない・・・・」、といった内容だそうで、10数分待っても運転席に誰もやってこない。Yさんが早く出発してほしいと上司の方に促したが、結局その運転手は動こうとせず、代わりの運転手が乗り込んでやっと出発した。

「仕事上のことであんな風に上役にさからったらいけまんよ。あの運転手は明日からクビですよ」とYさんは言っていたが、その後の顛末はわからない。こういった事は例外的なことで、たまたま運転手が変な奴だったのなら、我々は運が悪かったにすぎない。しかし、私は独断と偏見で、かつて人民公社が行き詰まっていく時代に、よく運転手と同じ理由で労働を惜しむ傾向が広がったことと結びつけてしまった。いわゆる集団労働の中での悪平等が起こす弊害が、未だに頭をもたげている事例と映ったのだが、果たしてどうなのか、中国通の方々や中国人自身に聞いてみたいところだ。


8 改革開放の遅れなのか、改革開放のゆがみなのか

もう一つ、多分日本ではありえないなーと思えることで、アレと思った経験を記しておきたい。
スークーニャンでの二日目、この日の日程が早めに終わったので、ホテルに2時半頃帰ることとなった。久振りにホテル内で時間に余裕があったので、同室の人とコーヒーを飲みにラウンジに降りて行った。ラウンジは、一つのテーブルを4人男が囲んでトランプに興じ、横に見物の男1人が座っている外はすべて空席で閑散としていた。我々が入っていくとテーブルを囲んでいた一人の男性が我々の方を振り返って注文を聞いたので、コーヒーを頼んだ。注文を聞いた40歳前後の男は一度厨房に行き、何かをして元のテーブルに戻ってトランプに再び加わった。我々はコーヒー待っている間に、そのトランプがどうやら賭け事で、卓上には現金が張られてこともわかった。こちらの視線が気になる顔つきの人もいたがゲームは続いた。

やがてウエイトレスらしき女性がコーヒーを運んできて、代金が合わせて30元だと告げたので、その場で支払った。コーヒーをすすってみるとインスタントもの。しょうがないかなーと言いながら、今日の見学地についてアレコレと喋っていると、隣りテーブルに30~40歳台の3人の日本人女性が入って2本のビールを注文し、デジカメやそれで撮れた写真について盛んに評定していた。

私の友人は、そのビールの代金について、ウエイトレスが2本で30元だと言っているのを聞き分けて、「俺達のインスタントのコーヒーとビール1本が一緒の値段やなんて、価格の設定感覚がだいぶおかしいなー」と笑った。そんな会話をしている間、ウエイトレスくんは幼稚園ぐらいの子どもを大画面のテレビの前に座らせ、リモコンで番組を選んでやって一緒に番組を見ていた。トランプを横から見物していた年輩の男もトランプから大画面に目を移した。

しばらくして隣の日本人女性客はビール飲み終えて席を立った。この時いつ頃からかトランプを見下ろすように見ていた若者が、片付けに来た。使い終わったビンやグラスを、お盆の上に載せ終えると、彼は客が座る籐椅子の背もたれにあったクッションをヒョイと取ってテーブルを拭いた。拭き終えると何もなかったかのようにクッションを元に戻し、お盆を厨房に運んでいった。

この一部始終は私の背後で起こったため、私の目には止まらなかったが、友人はつぶさに観察していて、若者が去った後私にこのボーイくんの片づけぶりをつぶさに教えてくれた。そうして友人は付け加えた。「このホテルも終わりだな。マスターは賭けトランプ、ウエイトレスは子守、ボーイは客用のクッションでテーブルを拭く。四つ星とはいえ内装や設備もガタがきているから建て直した方がいい」と。

果たしてこの珍事にどう説明をつけたらいいか、私の頭の中に幾つかのコメントが浮かんだが、そのどれもがもう一つ腹に落ちない。改革開放の遅れなのか、改革開放のゆがみなのか、田舎だからなのか、個人的な性格からなのか、ああー分からん。いやーそれにしても参ったなー・・・ということで、寒梅会諸氏にお聞きする質問としたい。


9 奥地に見る“格差”

この旅の最初と最後は重慶に泊まった。重慶には驚くほどたくさんの高層ビルが立っている。シャンハイやシェンチェンなどを知らない私には、まるでホンコンと写ったが、外資系企業特にハイテクや自動車・機械関係の外資の誘致に成功し、今日では中国の高度成長を象徴するの大都市の一つであるとのことだが、その説明に十分納得がいく都市景観だ。道路も高速道路や片側3車線の広いものが縦横に作られ、ヨーロッパ車や日本車が数多く走る。時折上半身裸で道路を横断していく男たちやトラックの荷台にぎっしり乗った人(屋根の上にすら人が乗っている)などを見かけなければ、車窓からの眺めは今中国にいることを忘れてしまうほどである。

Yさんはこうした大都市での“お金持ち”について色々と語ってくれた。彼らがベンツやアウディーを求め、億ションが販売されれば我先に買っていくこと等の現実について紹介してくれたが、我々の学生時代に知れされていた中国と繋ぎ合わせて理解するのには、やはりいくつかの飛躍がないと付いていけない話だ。

スークーニャンの辺りでの“お金持ち”事情はどうか。Yさんが語ってくれた話の中で、二つの事例を取り上げておこう。一つは石パン屋さんのサクセスストーリーで、場所はあのバス運転手の乗務拒否騒動があった双橋溝。この奥行き36キロの長い渓谷の途中の道沿いにあって、チベット人の農家が自家製のパンを副業として数年前から売り始めた。お客はこの谷を上り下りする観光客。裸麦を主原料にヤクのミルクなどを入れて石のかまどで焼いたパンは、素朴な味で美味しいと評判になり、大当たり。主人は家を大きくし、ヤクの頭数を増やし、豚もたくさん飼って、評判の“お金持ち”となった。この手作りパンは完全受注生産。

バスがこの谷を登っていく際に注文して、帰りに受け取るという方式で、家屋が道から50mほど離れているので、車のクラクションを信号のように受けてからつくるのだそうだ。値段は1個20元、直径30センチ程の円盤型パンを我々は12に分けて食べたが、珍しさも手伝って好評だった。昨年は10元だったのが、今年は20元になっても売れ続けているようで、この石パン屋さんのサクセスはまだまだ続きそうとのことだった。

もう一つは、チベット料理屋さん。この辺で採れる山野草やキノコ(野菌)をふんだんに使った料理で、特にスークーニャンを訪れた日本人の間で評判となって、今や予約がいっぱいで食べられない時もあるとのこと。案内された部屋は、ベニヤ板で囲った小屋といった感じの粗末なものだったが、たくさんの日本人グループが大姑娘山登頂(5025m)を記念してここで祝賀パーティーをやっていたようで、50センチ四方程度の布に書かれた寄せ書きが壁にたくさん張られていた。

料理はチベットのバタ茶から始まって、我々の憧れのマッタケを含む色々なキノコや山野草・野菜の炒め物など十数種類が出た。四川に入って以来、食べ物が辛いもの・味の濃いものが多かったこともあって、ここの料理はシンプルで食材がよく生きている感じで食が進んだ。この種の料理を看板に書いた食堂は他にもあったが、とりわけここはよく流行っていたのだろう、私たちが食べたような小部屋が複数あった。

ともあれ、奥地での“お金持ち”の話は総じてかわいいし、他の所でも起こりそうな予感がする。おそらく地域の人々の生活やものづくりに関連しているからだろう。

一方、これは大変な生活ではないかと思ったこととして、山間の道路工事にともなう飯場の人々の姿が挙げられる。我々が見た工事現場は、日本などからの重機も入って、人力だけに頼るものではなかったが、ただでさえ標高3000~4000mでの作業のこと、普通に軽い労働をするだけでもすぐしんどくなる。ところが、まだまだシャベルやツルハシのような初歩的な工具で人海戦術のように多数を動員して作業している場面も多い。身体にかかる負担は大変なものだ。

また、日本なら人里離れた場所で働く労働者はプレハブで起居する生活となるところだが、ほとんどフライシートのようなものを被せたテントの中での生活。高地の朝晩は夏でも10度前後まで下がる。夏以外の季節は推してしるべしで、彼らはこうした過酷な条件下でどれだけ長く働き続けることになるのだろうか。これはもう現代の苦力いうしかない。この現代の苦力の境遇に生きている人々が開発の陰に大量にいるのは、途上国ならどこでもよくあることだが、中国の場合はかなり大規模な問題としてありそうだ。


10 待たれる新しい国際経済秩序

中華人民共和国は労働者が解放されることを大目標としてきた国だ。この国が1970年代末から政策を大転換をした結果、労働者・国民の所得も大いに向上した。大都市には超高層ビルが林立し、金満中国人も現れ、部分的には先進資本主義国と変わらないレベルにまで達した。

一方で、解放前の苦力と大差のない人々の貧困を解決できないばかりか、彼らの低賃金や劣悪な労働条件を前提に開発を行い、その開発たるや生態系への配慮が欠如した開発を推進している、という何重もの矛盾した側面も持っている(持たざるを得ない)のが今の中国だ。もちろん中国だけでなく、ほとんどの途上国で、さらには先進国で、貧困や富の偏りの問題や無秩序な開発が、国際化の深まりの中で進んでいる。

“持続可能な地球”とか“格差が縮まる世界”を目指した新しい調和がとれた国際経済秩序が真剣に模索されないと、自分も隣人も世界全体も未来が持てない、という段階に来ていると思われてならない。(了)

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